サンティアゴ巡礼の道をゆく

2018年5月カミーノ プリミティボ、2018年夏に北の道(イルンからビルバオ)2018年11月サンサルバドル。2019年3月北の道(ビルバオーサンタンデール)。次は何処を歩くか検討中。欧州在住。

北の道 4日目

やはり本当に体調が悪くて、喉が痛くて唾液も飲めないかんじで朝目を覚ましました。起きれば起きたでフラフラします。でも幸い食欲があったので朝ごはんはたくさん食べました。ホテルの朝ごはんが素材もよく大変美味しいものばかりでした。

 

今日はMarkinaというところまで町もカフェもない道が16キロくらい続きます。海が見えればいいのですが、今日から少し内陸に入っていき、ビルバオに到着した翌日にまた海に出るかんじです。私は今回ビルバオまでしか歩かないのでもう海は見れません。

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最後に海の写真を。

 

ホテルは少しカミーノ から外れたところにありましたが、ホテルの人が車で5分くらいだからと乗せていってくれました。優しい!

 

ここから本当に体調も悪くて、天気も悪くて、長く思える道が続いてあまりに辛かったので写真をとっていません。

 

なんとかMarkinaまでついたら天気も回復してカフェで休んで軽食を取りました。プリミティボの時の反省を踏まえて1日に歩く距離を25キロ以下で調整していたのですが、この日は少し長く歩かなければならず、Markinaから6キロ先にあるボリバルという町がゴールです。よりによってこんな時に。

 

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だいたい平坦な道ですが、街道と並行して伸びる道であまり歩いていて面白くありませんでした。でも早く着きたいから必死に歩きました。

あと2キロくらいというところの交差点のカフェでまた一休みをしようとしたら、カフェのおじさんが、巡礼してるの?どこから来たの?と話しかけてくれました。「フランス人の道はは人が多くてダメだよ!ここは綺麗だし人が少ないから歩きやすいよ!!」と盛んにいっていました。本当にその通り。

この交差点を過ぎると少し上り坂になりましたが、まあ道も悪くないのでサクッとボリバルに到着。

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この薄い建物が本日の宿。一階にキッチンとダイニングと個室があり、上にはドミトリーがあるようでした。私は個室に泊まりました。ドアの張り紙に書いてある電話番号に電話すると近くのバーで引っ掛けてたオーナーのラファという人がお酒の匂いをさせながらドアを開けに来てあれこれ説明してくれました。ここにある洗濯機は無料でしかも洗濯機と乾燥機が合体したもの。便利です。

 

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この町、というか村、写真じゃわかりにくいと思いますが、ものすごい綺麗なんです。建物の一つ一つがきちんと手入れされていて、街道沿いのただの集落にしてはちょっと様子が変。。。と思っていたら!

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ベネズエラを独立に導いた思想家、政治家、軍人、シモンボリバルのボリバル家の発祥の地とのことです。ボリバル家はバスク人だったんですね!ボリバル博物館もあったのですが、残念ながら開館時間ではなくて入れませんでした。

具合が悪いこともあり夜は早く寝ようと思って、適当にキッチンで夕ご飯を食べていたら、上のドミトリーに泊まっている初老のご夫婦と話す機会がありました。オランダ人で、ご主人の方はなんと自宅からずっと歩いてきてこの時で2200km、4ヶ月半とのこと!奥さんはイルンからビルバオまで付き合うと言っていました。素敵な方達でしばらく話し込みました。

このアルベルゲ、新しくて綺麗で悪くなかったのですが、ベッドに毛布がなくて、ラファに頼んだらテーブルクロスくらいの薄さのものを渡されました。すごく寒いというわけではなかったのですが、やっぱり寝ているとかけるものなしでは寒くなってきます。なるべく着込んでジャケットもかけて寝ましたが寒くて目が覚めて、暖房をつけました。後にも先にも寝袋がなくて後悔したのはこの一回だけでした。